安田財閥創始者の子孫が住んだ大正時代の和風建築「旧安田楠雄邸」を見学
写真上は 文京区千駄木にある旧安田楠雄邸で 毎週の水曜と土曜に限り一般公開されています。 安田楠雄というのは 旧安田財閥の創始者・安田善次郎の娘婿(三女・峰子の夫)善四郎の長男です。
この建物は 大正8年(1919)に「豊島園」の創始者・藤田好三郎が建築したもので 安田善四郎が大正12年に買取り 長男の安田楠雄が相続したものです。 平成7年に安田楠雄が亡くなり 平成8年に歴史的建造物として(財)日本ナショナルトラストに寄贈され 2007年春から一般公開されています。
建物は 書院造りや数奇屋作りを継承した伝統的な和風建築ですが 洋風の応接間など和洋折衷の部分もあります。 関東大震災と第2次世界大戦の被災を免れた大正時代の貴重な建物であり 室内装飾や庭も一見に値すると思いました。
安田財閥の創始者・安田善次郎(1838~1921)年は 慶応二年に両替専業の安田商店を設立し 後の安田銀行→富士銀行→現みずほ銀行に繋がっています。 東京大学の安田講堂や日比谷公会堂は 安田善次郎が寄贈したものとして良く知られています。
写真上の家に亡くなる(平成7年)まで住んだ安田楠雄は 安田善次郎の三女が生んだ長男(善次郎の孫)であり ジョン・レノンと結婚した小野洋子(オノ・ヨーコ)は次女の孫(善次郎の曾孫)となります。
安田楠雄邸を見学した後は 千駄木から森鴎外旧宅跡の前(藪下通り)を歩き 農学部と地震研究所のある東大構内に入り赤門を出て地下鉄丸の内線・本郷3丁目から自宅に戻りました。

安田善四郎の写真

2階の部屋

1階の応接間

1階の客間

庭

1階の廊下

正面玄関
この建物は 大正8年(1919)に「豊島園」の創始者・藤田好三郎が建築したもので 安田善四郎が大正12年に買取り 長男の安田楠雄が相続したものです。 平成7年に安田楠雄が亡くなり 平成8年に歴史的建造物として(財)日本ナショナルトラストに寄贈され 2007年春から一般公開されています。
建物は 書院造りや数奇屋作りを継承した伝統的な和風建築ですが 洋風の応接間など和洋折衷の部分もあります。 関東大震災と第2次世界大戦の被災を免れた大正時代の貴重な建物であり 室内装飾や庭も一見に値すると思いました。
安田財閥の創始者・安田善次郎(1838~1921)年は 慶応二年に両替専業の安田商店を設立し 後の安田銀行→富士銀行→現みずほ銀行に繋がっています。 東京大学の安田講堂や日比谷公会堂は 安田善次郎が寄贈したものとして良く知られています。
写真上の家に亡くなる(平成7年)まで住んだ安田楠雄は 安田善次郎の三女が生んだ長男(善次郎の孫)であり ジョン・レノンと結婚した小野洋子(オノ・ヨーコ)は次女の孫(善次郎の曾孫)となります。
安田楠雄邸を見学した後は 千駄木から森鴎外旧宅跡の前(藪下通り)を歩き 農学部と地震研究所のある東大構内に入り赤門を出て地下鉄丸の内線・本郷3丁目から自宅に戻りました。
安田善四郎の写真
2階の部屋
1階の応接間
1階の客間
庭
1階の廊下
正面玄関
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