防衛省・市ヶ谷記念館に残された東京裁判の旧大本営陸軍講堂と三島由紀夫が自決した旧陸軍大臣室

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半藤一利著「昭和史(戦後編)」 の第6章「東京裁判の判決が下りるまで」を読んでいたら 裁判(極東国際軍事法廷)が行われた場所は 防衛省敷地内に市ヶ谷記念館として残されているとあったので 事前に申請し見学してみました。

写真上は 市ヶ谷(新宿区)にある防衛省の正門です。 約23ヘクタール(東京ドーム5個分)あるこの場所は 江戸時代に尾張藩の江戸屋敷があった所で 昭和12年に陸軍士官学校 昭和16年に陸軍の大本営が置かれました。 戦後(昭和20年) 米軍に接収され 極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用され 平成12年に防衛庁(現在の防衛省)が六本木から移されるまで陸上自衛隊の駐屯地になっていました。

2時間10分の見学内容は 庁舎A~E棟や隊舎についての説明を受けると共に 儀仗広場・厚生棟広報展示室・市ヶ谷記念館を見学するというものでした。

見学のハイライトは 旧1号館から市ヶ谷記念館に移設された旧大本営陸軍大講堂と旧陸軍大臣室の見学でした。 旧陸軍大講堂は 極東国際軍事裁判が行われた場所であり 旧陸軍大臣室は 昭和45年(1970)に三島由紀夫がたてこもり自決した部屋です。

極東国際軍事裁判(東京裁判)は 昭和21年(1946)年5月に開廷し 昭和23年11に判決が下りるまで約2年半行われました。 GHQ管理下の東京裁判では A級戦犯(侵略戦争を計画または指導した者と戦争を防止しなかった者)28人を裁き 7人が絞首刑となっています。 

東京裁判は 連合国側に全ての「正義」があるとする勝者による敗者に対する一方的な裁判であり 復讐の儀式でもあったので 正当な裁判であったかどうかは大きな疑問を今に残しています。

三島由紀夫が昭和45年11月に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を森田必勝ら楯の会メンバー4名と共に訪れ 隙を突いて益田兼利・総監室長を人質に取り籠城し自決したのは 戦時中に大本営陸軍大臣室であった部屋です。 早いもので この事件から40年近く過ぎましたが まだ昨日のことのように今でも鮮明に思い出します。

東京の中野に生まれた私ですので 市ヶ谷に陸上自衛隊駐屯地があることは知っていましたが この場所に陸軍大本営があったという実態を余り知らぬままにいました。 平成12年に防衛庁(現在の防衛省)が六本木からこの場所に移りましたが 今回の見学で施設が余りに立派なので驚きました。

市ヶ谷にある防衛省の庁舎群は 戦後の官公庁建設としては最大規模で 日本古来の様式である伽藍建築をイメージに盛り込み 大型の回廊などを採用し「平等院鳳凰堂」(10円玉の裏面)を模した形状にしたそうです。 どれほどの建築費用を要したのか見学時の説明にありませんでしたが 六本木の敷地を売り その予算(特特会計)で建てたそうです。

特特会計とは「特定国有財産整備特別会計」のことだそうですが 国会で審議される「一般会計予算」とは別の「特別会計」とは何のことなのか納税者には実態が良く分からぬままですネ。

尚 冒頭に書いた半藤一利著「昭和史」については 私の別記事 40年ごとに日本の国家は変わってきたという半藤一利著「昭和史」の40年史観 を参照ください。
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市ヶ谷記念館の旧陸軍大臣室に置かれている旧1号館模型

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旧1号館の一部を移設した市ヶ谷記念館。 玄関の屋根上にあるバルコニーから三島由紀夫が激を飛ばした。

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市ヶ谷記念館にある東京裁判の行われた法廷

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2階席から見た東京裁判の行われた法廷

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法廷壇上から見た内部。 2階中央部に旧陸軍大臣室

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三島由紀夫が自決した旧陸軍大臣室

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旧陸軍大臣室に置かれた旧1号館模型

この記事へのコメント

2009年08月08日 11:19
おはようございます。
すでに半世紀以上を過ぎたとはいえ、歴史的な裁判が行われた場所に立ってみる意義は少なくないと思いました。
以前から機会があれば松代大本営跡を見学したいと思っているのですが、時代の狂気が蘇って、トラウマになりそうで(^_^;)なかなか実行できずにいます。
2009年08月08日 19:48
空さま
松代大本営跡について良く知らなかったので調べてみましたが 正に狂気そのものですネ。 まあ見に行かない方がトラウマにならない為にも賢明ではないでしょうか?

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