藤沢周平著「橋ものがたり」と江戸の大川(現在の隅田川)に架かる五つの橋
藤沢周平著「橋ものがたり」(実業之日本社)を読みました。 藤沢周平の小説というと剣客ものというイメージが強くありますが この短編集は「市井もの」の代表作として知られているそうです。 様々な人間が毎日行き交う江戸の橋が舞台になっており そこで繰り広げられる男女の出会いと別れが品格のある文章と緻密な情景描写で書かれています。
この本は 十の短編で構成されている短編集で それぞれの作品に登場する江戸の橋として 「約束」では小名木川の萬年橋 「小ぬか雨」では親爺橋 「思い違い」では両国橋 「赤い夕日」では永代橋 「小さな橋で」では名もない橋 「氷雨降る」では大川橋 「殺すな」では永代橋 「まぼろしの橋」では笄橋、鳥越橋 「吹く風は秋」では猿江橋 「川霧」では永代橋が 出会いと別れの場所として重要な舞台装置になっています。
大川橋が登場する「氷雨降る」のストーリは以下のようなものです。
小間物屋の吉兵衛は 隠居を前にして 妻と店をまかせた息子から無視され孤立しており 居場所がなくなりつつあるのを感じている。 小さな店が現在の大店になるまで一生懸命働いたのは一体何だったのかと思いながら毎日を過ごす中で 大川橋を渡って「おくら」の店へ飲みに行くのが長い習慣となっている。 「おくら」で飲んだ帰り 吉兵衛は橋の上で川を見下ろしている女に出会う。 この女を「おくら」の店に行く時にも見ており それからずっといたらしい。 吉兵衛は川に身投げでもしそうな女を放っておけなかった。 女は名を「おひさ」といい 事情は分からないが 吉兵衛は 「おくら」の店に頼み「おひさ」を住み込みで働けるようにする。 暫くして 「おひさ」はやくざと繋がっていたことがと分かる。 吉兵衛は やくざから守るために「おひさ」を別の家に移すことにする。
十ある短編の中で 私は この「氷雨降る」に最も共感しました。 居場所のなくなりつつある初老の吉兵衛と定年退職した私の立場が どことなく似ており 吉兵衛に感情移入して読んだからです。
「氷雨降る」の舞台となっている「大川橋」は 現在の隅田川に架かる「吾妻橋」のことです。 江戸の町を流れる最も大きな川は隅田川だったので 隅田川に架かる橋を江戸時代に「大川橋」と呼びましたが 現在では「吾妻橋」という名になっています。 調べてみたところ 江戸時代 大川(隅田川)に架けられた橋は次の五つだそうです。
(橋名) (架橋年) (コメント)
千住大橋 文禄3(1594)年 家康が江戸に入府して架けた最初の橋
両国端 万治2(1659)年 明暦の大火が架橋のきっかけ
新大橋 元禄6(1693)年 5代将軍綱吉の母の発願による
永代橋 元禄11(1698)年 上野寛永寺本堂の材木を使って架橋
吾妻橋 安永7(1774)年 はじめ大川橋と呼ばれた
江戸の町中を流れる最も大きな川である大川(隅田川)に五つの橋しか架けられなかったのは 何故なのか チョット不思議ですが 当時は江戸を守るために敢えて橋を架けずに 「渡し舟」を利用していたことと 交通量も少なかったというのがその理由だそうです。
歌川広重の描いた写真下の浮世絵「名所江戸百景」の中に「「大橋あたけの夕立」というのがあり にわかに降り出した夕立に慌てふためく人々が描かれています。 この絵から大きな影響を受けたゴッホは この絵を油彩で模写していますが この絵に描かれている橋は「新大橋」だそうです。
藤沢周平著「橋ものがたり」読んだことがきっかけとなり 江戸の大川(現在の隅田川)に架かる五つの橋を知りました。

歌川広重の浮世絵に描かれている「新大橋」
この本は 十の短編で構成されている短編集で それぞれの作品に登場する江戸の橋として 「約束」では小名木川の萬年橋 「小ぬか雨」では親爺橋 「思い違い」では両国橋 「赤い夕日」では永代橋 「小さな橋で」では名もない橋 「氷雨降る」では大川橋 「殺すな」では永代橋 「まぼろしの橋」では笄橋、鳥越橋 「吹く風は秋」では猿江橋 「川霧」では永代橋が 出会いと別れの場所として重要な舞台装置になっています。
大川橋が登場する「氷雨降る」のストーリは以下のようなものです。
小間物屋の吉兵衛は 隠居を前にして 妻と店をまかせた息子から無視され孤立しており 居場所がなくなりつつあるのを感じている。 小さな店が現在の大店になるまで一生懸命働いたのは一体何だったのかと思いながら毎日を過ごす中で 大川橋を渡って「おくら」の店へ飲みに行くのが長い習慣となっている。 「おくら」で飲んだ帰り 吉兵衛は橋の上で川を見下ろしている女に出会う。 この女を「おくら」の店に行く時にも見ており それからずっといたらしい。 吉兵衛は川に身投げでもしそうな女を放っておけなかった。 女は名を「おひさ」といい 事情は分からないが 吉兵衛は 「おくら」の店に頼み「おひさ」を住み込みで働けるようにする。 暫くして 「おひさ」はやくざと繋がっていたことがと分かる。 吉兵衛は やくざから守るために「おひさ」を別の家に移すことにする。
十ある短編の中で 私は この「氷雨降る」に最も共感しました。 居場所のなくなりつつある初老の吉兵衛と定年退職した私の立場が どことなく似ており 吉兵衛に感情移入して読んだからです。
「氷雨降る」の舞台となっている「大川橋」は 現在の隅田川に架かる「吾妻橋」のことです。 江戸の町を流れる最も大きな川は隅田川だったので 隅田川に架かる橋を江戸時代に「大川橋」と呼びましたが 現在では「吾妻橋」という名になっています。 調べてみたところ 江戸時代 大川(隅田川)に架けられた橋は次の五つだそうです。
(橋名) (架橋年) (コメント)
千住大橋 文禄3(1594)年 家康が江戸に入府して架けた最初の橋
両国端 万治2(1659)年 明暦の大火が架橋のきっかけ
新大橋 元禄6(1693)年 5代将軍綱吉の母の発願による
永代橋 元禄11(1698)年 上野寛永寺本堂の材木を使って架橋
吾妻橋 安永7(1774)年 はじめ大川橋と呼ばれた
江戸の町中を流れる最も大きな川である大川(隅田川)に五つの橋しか架けられなかったのは 何故なのか チョット不思議ですが 当時は江戸を守るために敢えて橋を架けずに 「渡し舟」を利用していたことと 交通量も少なかったというのがその理由だそうです。
歌川広重の描いた写真下の浮世絵「名所江戸百景」の中に「「大橋あたけの夕立」というのがあり にわかに降り出した夕立に慌てふためく人々が描かれています。 この絵から大きな影響を受けたゴッホは この絵を油彩で模写していますが この絵に描かれている橋は「新大橋」だそうです。
藤沢周平著「橋ものがたり」読んだことがきっかけとなり 江戸の大川(現在の隅田川)に架かる五つの橋を知りました。

歌川広重の浮世絵に描かれている「新大橋」

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