GHQ最高司令官・マッカーサーはなぜ日本の臍(へそ)だったのか?
日比谷にある第一生命保険(株)本社にてGHQマッカーサー最高司令官の執務室が7月17~22日の期間限定で一般公開されているので見てきました。 写真上は マッカーサー記念室として当時のまま残されている広さ16坪の執務室で “何事にも即断即決したマッカーサーの机には引き出しがなかった”と言われている机が部屋の真ん中に置かれていました。
第一生命保険の説明パンフレットによると マッカーサーの使ったという部屋と机は 第一生命社長室として使われていたものを終戦直後にGHQ(連合国軍司令部)最高司令官の執務室として そのまま接収したものだそうです。
マッカーサーの即断即決と引き出しのない机が あたかも同意語の如く言われていますが 第一生命・石坂泰三社長の執務室を接収し そこにあった机をそのまま使ったというのであれば 即断即決のマッカーサーと引き出しのない机の因果関係は直接なかったと言えるのではないでしょうか?
ダグラス・マッカーサーが矢継ぎ早に実行した 陸海軍と軍事工廠の廃止 戦争中に要職にあった者の公職追放 基幹産業の民営化 政党政治の復活 検閲制度の廃止 治安維持法の撤廃 司法制度の改革 政治犯の釈放 婦人参政権の授与 労働組合の奨励 学校教育の自由化 国家神道の廃止 財閥の解体 家督相続の廃止 農地改革 新憲法制定など一連の大胆な改革を可能にしたのは 連合国最高司令官としてマッカーサーが天皇および日本政府より上の存在として統治する絶対的な権力を持ったからです。
天皇とマッカーサーのどちらが大きな権力を持っているのかが一目瞭然となったのは 1945年9月27日に天皇とマッカーサーが初めて対面した時の有名な写真で マッカーサー最高司令官は開襟シャツに勲章もつけず 両手を腰にあて少しだけ肘を張って 気楽といった姿勢で(長身から)天皇を見下ろすように立っていたのに対し 天皇は礼装のモーニング姿で緊張して立っていました。 この写真は 日本人の多くに 日本の敗北とマッカーサーの支配を強く実感させました。
天皇は占領期の猥雑な「なぞなぞ」の標的にもなり 例えば
マッカーサー元帥はなぜ日本のへそなのか? ⇒ チン(朕=天皇)の上にあるからだ
といったようなものがあったそうです。
GHD最高司令長官として 1945年8月~1951年4月の間 日本で君臨したマッカーサーを評価するのは 功罪が色々とあるので難しいですが 功の方が多かったと私は思います。

マッカーサー記念室

マッカーサーの銅像

マッカーサーの利用していた椅子

即断即決するための引き出しのない机

壁に飾られたヨットの絵

皇居の堀沿いに立つ第一生命保険(株)本社の入るDNタワー21。 マッカーサー記念室はタワー6階にある

DNタワー21の低層部分はGHQが接収して利用した第一生命館(旧第一生命本社本館)
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