北条氏を滅ぼし日本を統一した豊臣秀吉の小田原征伐を「石垣山一夜城」にて想う
1590年に豊臣秀吉が水陸15万の大軍を率いて小田原の北条氏を攻めた時に その本陣として築いた総石垣の城が一夜にして忽然として現れたので それを見た小田原城内の兵士たちは驚き士気を失ったそうです。 その城が 世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは 山頂の林の中に延べ4万人を動員して約80日かけて築いた城の回りの林を 一夜の内に全て切り倒したので 小田原城内からは秀吉の城が一夜にして現れたように見えたからです。
写真上は 石垣山一夜城に登る入口付近です。 過日 箱根に1泊旅行することになり 先ず 小田原漁港にてお目当ての海鮮丼を食べようしたところ 小田原城近くで石垣山一夜城の案内が目に入ったの 急遽 訪ねてみました。
標高257mの石垣山は 笠懸山と呼ばれていましたが この山に秀吉が総石垣の城を築いてから 石垣山と呼ばれるようになったそうです。 石垣山一夜城から小田原城がどんな風に見えるのか 興味ありましたが 小田原城までの直線距離が3kmもあるので 私の肉眼では小田原城を判別できませんでした。
次の図は 豊臣秀吉の小田原攻め包囲図(クリックして拡大視可)です。 画面左下に秀吉の本陣・石垣山があり 黄色い枠内の小田原城北条軍は 15万の秀吉軍により水陸から包囲され籠城に追い込まれたので 降伏か決戦か小田原評定で意見が分かれましたが 結局は降伏し 秀吉による天下統一が達成されます。

豊臣秀吉の小田原攻め包囲図(クリックして拡大視可)。 図の左下に秀吉が本陣を構えた石垣山一夜城がある。
小田原攻めで北条軍の降伏を待つことにした秀吉は 戦いが長丁場になると判断して 石垣山一夜城に淀君・側室・千利休・能役者を呼び茶会を開いたり 天皇の勅使を迎えたりして 余裕綽綽(しゃくしゃく)であり 北条軍に勝ち目は無かったようです。
小田原城主・北条氏直は 1590年7月に降伏し 自らの命と引き換えに 籠城した一族や家臣たちの助命を求めますが 秀吉はこれを認めず 父・氏政と弟・氏照は切腹 城主・氏直は高野山に追放されています。
北条五代の墓が箱根湯本の早雲寺にあると聞いたので 箱根からの帰路に寄ってみました。 早雲寺は 石垣山一夜城が完成するまで 秀吉軍の本営があったところで 境内には 北条五代(北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)の墓と共に 石垣山一夜城で使用されたという梵鐘が移されていました。
石垣山一夜城は 豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし全国統一を完成させた小田原征伐の本陣として 歴史的に貴重な場所なので 小田原に行く機会があれば 是非 訪ねてみてください。
尚 豊臣秀吉が滅ぼした「北条氏」は 鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏の後裔ではないので 区別して 「後北条氏」または「小田原北条氏」とも呼ばれるそうです。

石垣山一夜城の石垣

左の小山頂上に本丸が築かれた

二の丸跡

天守台跡

本丸跡にある石垣山の石碑

石垣山一夜城から小田原城の方向を見る。 3km先の小田原城を肉眼で識別するのは難しい?

石垣山一夜城の駐車場。 林のある場所が石垣山一夜城

石垣山一夜城から小田原漁港に下る途中 ズームで撮った小田原城

箱根湯本の早雲寺

早雲寺本堂

石段を上がった所に北条五代の墓

北条五代の墓。 右端が早雲の墓

石垣山一夜城から早雲寺に移された梵鐘
写真上は 石垣山一夜城に登る入口付近です。 過日 箱根に1泊旅行することになり 先ず 小田原漁港にてお目当ての海鮮丼を食べようしたところ 小田原城近くで石垣山一夜城の案内が目に入ったの 急遽 訪ねてみました。
標高257mの石垣山は 笠懸山と呼ばれていましたが この山に秀吉が総石垣の城を築いてから 石垣山と呼ばれるようになったそうです。 石垣山一夜城から小田原城がどんな風に見えるのか 興味ありましたが 小田原城までの直線距離が3kmもあるので 私の肉眼では小田原城を判別できませんでした。
次の図は 豊臣秀吉の小田原攻め包囲図(クリックして拡大視可)です。 画面左下に秀吉の本陣・石垣山があり 黄色い枠内の小田原城北条軍は 15万の秀吉軍により水陸から包囲され籠城に追い込まれたので 降伏か決戦か小田原評定で意見が分かれましたが 結局は降伏し 秀吉による天下統一が達成されます。

豊臣秀吉の小田原攻め包囲図(クリックして拡大視可)。 図の左下に秀吉が本陣を構えた石垣山一夜城がある。
小田原攻めで北条軍の降伏を待つことにした秀吉は 戦いが長丁場になると判断して 石垣山一夜城に淀君・側室・千利休・能役者を呼び茶会を開いたり 天皇の勅使を迎えたりして 余裕綽綽(しゃくしゃく)であり 北条軍に勝ち目は無かったようです。
小田原城主・北条氏直は 1590年7月に降伏し 自らの命と引き換えに 籠城した一族や家臣たちの助命を求めますが 秀吉はこれを認めず 父・氏政と弟・氏照は切腹 城主・氏直は高野山に追放されています。
北条五代の墓が箱根湯本の早雲寺にあると聞いたので 箱根からの帰路に寄ってみました。 早雲寺は 石垣山一夜城が完成するまで 秀吉軍の本営があったところで 境内には 北条五代(北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)の墓と共に 石垣山一夜城で使用されたという梵鐘が移されていました。
石垣山一夜城は 豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし全国統一を完成させた小田原征伐の本陣として 歴史的に貴重な場所なので 小田原に行く機会があれば 是非 訪ねてみてください。
尚 豊臣秀吉が滅ぼした「北条氏」は 鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏の後裔ではないので 区別して 「後北条氏」または「小田原北条氏」とも呼ばれるそうです。

石垣山一夜城の石垣

左の小山頂上に本丸が築かれた

二の丸跡

天守台跡

本丸跡にある石垣山の石碑

石垣山一夜城から小田原城の方向を見る。 3km先の小田原城を肉眼で識別するのは難しい?

石垣山一夜城の駐車場。 林のある場所が石垣山一夜城

石垣山一夜城から小田原漁港に下る途中 ズームで撮った小田原城

箱根湯本の早雲寺

早雲寺本堂

石段を上がった所に北条五代の墓

北条五代の墓。 右端が早雲の墓

石垣山一夜城から早雲寺に移された梵鐘

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