「不受不施事件」で信濃伊奈へ流罪となった16世貫主・日樹上人の存在を池上本門寺・五輪塔で知る

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久しぶりに池上本門寺を再訪し 2年ほど前に初めて訪ねた時に全く気付かなかった写真上の五輪塔に初めて目が止まりました。 傍らの説明板によると この五輪塔は 次のようなものです。

この塔は、本門寺山内最大の五輪石塔で、総高約四メートル、戦災による破損がいちじるしく、造立年紀銘は見えないが、上から三段目の火輪斜面に「日樹(花押)]の署名が刻まれている。 したがって、本塔は、日樹が不受不施事件で信州に流される寛永七年(1630)より前の造立である。 しかも、地輪をはじめ、塔の全面に数百名の奉加者の名を刻みつけてあることは、日樹とその信者層、ひいては江戸初期の池上本門寺外護者の実態を表しており、不受不施史研究上、極めて有力な資料である。

恥ずかしながら 「日樹」と「不受不施事件」について全く知らなかったので 帰宅してから調べ 次の如く私なりに理解しました。

法華経を経典とする日蓮宗の僧侶は 他宗派の信者から布施を受けてはならず、また日蓮宗の信者は他宗派の僧に布施をしてはならないという日蓮以来の「不受不施」と言う信条がある。 日蓮没後、弟子たちの中に公家や武家からの布施を受けても「不受不施」の信条を破ったことにならないとする総本山・久遠寺系と「不受不施」の信条を破ったことになると厳格に解釈する池上本門寺系が対立していた。 この対立は訴訟に発展し 1630年に徳川幕府の裁許で「不受不施」を信条とする池上本門寺系は敗れ 池上本門寺の16世貫主・日樹(1574~ 1631年)は信濃伊奈へ流罪となった。 その後 1665年に徳川幕府は不受不施の信条を禁止したため 信仰を守ろうとした僧侶や信者の一団(不受不施派)は秘密教団化して、地下活動をせざるをえなくなった。 明治維新後の1876年に 不受不施の信条はようやく国家によって公認されて今に至っている。

日蓮宗は日蓮以来 「不受不施」を信条としましたが 戦国時代になって為政者による宗教弾圧が激しくなり 不受不施を信条とする宗派はキリシタン同様に邪教として弾圧の対象となり 僧侶や寺院が為政者からの供養を拒否することが難しくなったそうです。 「不受不施事件」で日樹上人が信濃伊奈へ流罪となったのは その延長線上で起きたものと理解できます。

池上本門寺の片隅で目立たない存在となっている五輪塔に 私の知らなかった有名な宗教論争があったことを初めて知りました。

2年半ほど前に日蓮宗の総本山・身延山久遠寺と池上本門寺を訪ねたことがあります。 その時に載せた以下の記事にもし興味あれば覗いてください。

1.日蓮宗の総本山・身延山久遠寺にある日蓮聖人の墓
2.日蓮上人と力道山

以下の写真は 池上本門寺を今回2年半ぶりに訪ねた際に撮ったものです。
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池上本門寺多宝塔。 日蓮上人の尊骸を荼毘に付した場所に建てられた供養塔

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大坊本行寺。 日蓮が入滅した池上宗仲の館を寄進して寺にしたもの

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徳川家康の側室「養珠院・お万の方」などを埋葬した紀伊徳川家墓所

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