山陰の小京都と呼ばれる津和野(島根県西端)を散策し城山山腹の「太鼓谷稲成神社」を訪ねる
島根県の西端にあって山陰の小京都とも呼ばれる「津和野」を初めて訪ねました。 町の中心部にある「殿町通り」には 掘割に沿って城下町だった頃の古いたたずまいを今に残しており 藩校養老館跡 津和野藩家老・多胡家表門 カトリック教会など歴史を感じさせる建物が集中しています。
津和野には 古い歴史があり 江戸時代の1617年から明治維新前まで約250年の間 亀井氏が11代にわたり藩主として町を発展・繁栄させています。 町の南端にある城山(標高370m)の山上に山城が築かれ 江戸時代になって城郭の大改修が行われましたが 明治時代に取り壊わされ 現在の山上には津和野城址として石垣のみが残されています。
町の中心部を流れる津和野川と殿町通りが交差する地点から城山の方向に 朱塗りの鳥居がぎっしりと並んだ参道が見え 信者から奉納された約1,000本の鳥居によるトンネルを300mほど登ると上掲写真にある「太皷谷稲成神社」に到達します。 安永2年(1773)、津和野7代藩主亀井矩貞(のりさだ)が城の鎮護と領民の安穏を願って、城山の太皷谷に京都伏見稲荷を勧請したものです。 太鼓谷稲成神社は日本五大稲荷の一つで、「稲荷」と書くのが普通ですが 「願望成就」のために「稲成」としたそうです。
太皷谷稲成神社本殿(標高214m)から津和野の街が一望できました。

津和野の「殿町通り」

津和野藩家老・多胡家の表門

殿町通り

津和野中心部を流れる津和野川

太皷谷稲成神社の参道入口

鳥居

鳥居

太皷谷稲成神社

本殿
津和野には 古い歴史があり 江戸時代の1617年から明治維新前まで約250年の間 亀井氏が11代にわたり藩主として町を発展・繁栄させています。 町の南端にある城山(標高370m)の山上に山城が築かれ 江戸時代になって城郭の大改修が行われましたが 明治時代に取り壊わされ 現在の山上には津和野城址として石垣のみが残されています。
町の中心部を流れる津和野川と殿町通りが交差する地点から城山の方向に 朱塗りの鳥居がぎっしりと並んだ参道が見え 信者から奉納された約1,000本の鳥居によるトンネルを300mほど登ると上掲写真にある「太皷谷稲成神社」に到達します。 安永2年(1773)、津和野7代藩主亀井矩貞(のりさだ)が城の鎮護と領民の安穏を願って、城山の太皷谷に京都伏見稲荷を勧請したものです。 太鼓谷稲成神社は日本五大稲荷の一つで、「稲荷」と書くのが普通ですが 「願望成就」のために「稲成」としたそうです。
太皷谷稲成神社本殿(標高214m)から津和野の街が一望できました。
津和野の「殿町通り」
津和野藩家老・多胡家の表門
殿町通り
津和野中心部を流れる津和野川
太皷谷稲成神社の参道入口
鳥居
鳥居
太皷谷稲成神社
本殿
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